■「ふるさと物語(語り部の会)~野洲川下流域周辺~
野洲川下流域周辺と、この地に暮らした人々との間には、たくさんの豊かな物語が生まれました。それは、日々の暮らしが自然と共にあったふるさとの物語」です。
「ふるさと物語」では、この守山・野洲周辺の土地に昔から伝わる魅力的な民話(昔話・伝承)と里唄(さとうた・わらべ歌・仕事歌)をご紹介します。そして、みなさんに懐かしい日本の原風景を感じていただこうと思います。
◆日時
11 月 17 日(日)10:00~12:00
◆場所
中山道街道文化交流館(筆忠・ふでちゅう JR守山駅から徒歩10分)
〒524-0022 滋賀県守山市守山1丁目8−14
Maps http://goo.gl/Arv50l
◆内容
・民話(30 分):お満灯篭、ゆうれいつぼ 、河童(がわ)太郎物語
・里唄(30 分):蛍、新庄来い、なむあみだぶつ、子守唄、正月になったれば、たにしのうた、大波小波、亥の子、杭打ち歌、臼すりうた
・交流(60分):昔遊び(コマ回し、おはじき、お手玉、折り紙)を体験してもらいながら交流
※当日一部内容が変更になることがあります。
◆対象
守山市・野洲市周辺にお住まいの方、お子さん・お孫さん・ひ孫さんとご一緒に参加できる方、とご一緒に参加できる方
◆参加費
無料
◆主催
おうみ未来塾12期生 おうみのふるさと物語プロジェクト
「河童(がわ)太郎(たろう)物語(ものがたり)」
「河童(がわ)太郎(たろう)は昔(むかし)からカッパのことであるが、古来(こらい)吉川(よしかわ)ではガワタロウと言って七月(しちがつ)の祇園(ぎおん)祭(まつり)の日には湖水(こすい)や堀(ほり)で水遊(みずあそび)をするな、尻(しり)に食いくいついて血ちを吸すいよるぞ」と言われたものでした」
ガ太郎(たろう)松(まつ)の話(はなし)
吉川(よしかわ)の西念寺(さいねんじ)に正道(しょうどう)法師(ほうし)というお坊(ぼう)さんがいました。
とても強くてつよくて力持ち(ちからもち)で馬(うま)を大変たいへんかわいがっていました。村むらの人ひとたちは正道(しょうどう)さんが馬(うま)に乗ってのって通とおると「念仏(ねんぶつ)正道(しょうどう)さんの馬がござった」といってはやしました。
正道(しょうどう)さんは毎日朝(あさ)のおつとめが終おわわると、愛馬(あいば)に乗って(のって)野洲(やす)川(がわ)のみを琵琶びわ湖この辺り(あたり)まで一直線いっちょくせんに下り(くだり)野洲(やす)川(がわ)の八つ(やつ)崎(さき)で馬(うま)に水(みず)を飲ませて(のませて)吉川(よしかわ)から戻るもどるのが楽(たの)しい日課(にっか)でした。
ある日のこと、いつもの道をハイ、シッ、ハイ、シッ、と走っていきました。
この辺り(あたり)には正道(しょうどう)さん所有(しょゆう)の野洲(やす)川がわから水(みず)を引く(ひく)「オヅルの樋(ひ)」があり、そこからは小川(おがわ)が流(なが)れだしていますが、その水門(すいもん)の辺り(あたり)で水がボクボクと噴出(ふきだ)しているのです。
馬上(ばじょう)の正道(しょうどう)さんの目(め)には、そこに何(なに)やら見た(みた)こともない怪物(かいぶつ)が見えた(みえた)のでした。
「不思議(ふしぎ)なことじゃわい」と思いながら正道(しょうどう)さんは馬(うま)から降おりて念仏(ねんぶつ)を唱(とな)えながら、怪物(かいぶつ)に近づいていきました。
そして正道(しょうどう)さんは、大きな声で
「これ、がわたろう(河童太郎)とはお前のことか!いつも吉川(よしかわ)の人々ひとびとをおどかしたり、祇園(ぎおん)祭(まつり)の日には人の尻(しり)に食くいついて血(ち)を吸(す)うたり、大変(たいへん)な悪(わる)さをしているとは何(なん)という事(こと)じゃ、わしと一緒(いっしょ)についてこい」
といって馬(うま)を引き寄ひよせました。
河童(がわ)太郎(たろう)は馬(うま)が好き(すき)ですし、正道(しょうどう)さんに言われたので素直(すなお)についていきました。正道さんはこの怪物(かいぶつ)を、お寺(てら)の入り口にある大きな松(まつ)の木にしばりつけて言いました。
「これ、お前(まえ)は人(ひと)の形(かたち)をしているが、顔(かお)や頭(あたま)は動物(どうぶつ)じゃ。それにお前は心の中まで動物(どうぶつ)の心(こころ)じゃ。だが動物(どうぶつ)のおまえでも念仏(ねんぶつ)をとなえる口は持もっている、目もちゃんとついている。これからわしが人の声(こえ)をきく耳をつけてやろう」
といって、縄(なわ)をほどいて本堂(ほんどう)につれて行きました。
そして河童がわ太郎たろうに
「がたろうよ、よーーく仏様を見ておがみなさい、仏(ほとけ)様(さま)は十方(じゅっぽう)衆生(しゅじょう)と呼(よ)んでいていてくださるのだよ」
と、なんどもなんども言い聞きかせました
聞く耳を持った河童(がわ)太郎(たろう)に、正道(しょうどう)さんの話す(はなす)仏(ほとけ)の心(こころ)が通(つう)じたのでしょうか、河童太郎はふかく頭をさげて目には涙(なみだ)がいっぱいでした。
そしてだんだん顔(かお)がやさしくなり、ほほえんだように見えました。
正道さんはたいへんよろこんで、念仏(ねんぶつ)をとなえながらいいました。
「がたろうよ、こんど生まれてくるときは、人間に生まれて仏(ほとけ)の教えをきいておくれ。」
といって縄(なわ)をはなしてやりますと、がたろうはふりかえり、ふりかえりしながら、どこかに行ってしましました。
それからというもの、吉川のはがたろうを見ることはなくなりました。水遊びをする子どもたちに悪さをすることもなくなり、村人たちは安心して仕事が出来るようになったといいます。
おわり
後日譚には、ガ太郎の頭の皿が割れているのを見たという話が世間の噂話になったという事です。吉川の松月山西念寺にはガ太郎松の切株が今も残っているらしい。仏の慈悲が悪性な河童にまで及んだという物語です。
https://www.facebook.com/events/376679812435375/
民話「お満燈籠」
むかし、湖西の比良村に八荒という力士がいました。あるとき、湖東の鏡村で相撲が行われ、各地から力士たちが集まってきました。
そのなかでとりわけ容貌がよく体も立派で強そうな力士がいました。八荒(はっこう)です。鏡村には、お満(おまん)という美しい娘がいました。
年ごろのお満は、八荒を一目見るなり心を引かれました。それぞれ力士が郷土に帰ろうとしました。お満はどうしても恋心をおさえることができません。
とうとう、「お嫁さんにしてください」とたのみました。すると、八荒は「それほど私を思う心があれば、百日通い通したらよめにしてやってもよい。」と言いました。この難問題で、おそらく娘は恋をあきらめるだろうと思ったからです。
ところが、お満の恋心はますます高まって思いとどまることにはなりませんでした。お満は人目を忍んで、毎夜、今浜(美崎)の燈籠崎(とうろうざき)より、たらいに乗り、杓子で水をかいて湖上を白髭明神の明りを目当てにして、八荒のもとに通いました。
あまりのことに八荒は、ある夜、「どうして毎夜遠路の湖上を来るのか」とたずねました。すると娘は、「白髭明神の明りを目当てに通うのです」と答えました。八荒はその大胆さに驚くとともに、一念の恐ろしさを思い浮かべました。そして、九十九夜には明神さんの灯明を消しておきました。
お満は、それとも知らず、いつものとおりたらいに乗って湖上にこぎ出してしまいました。しかし、灯明が見えないため方向がわからず湖上をさまよっていました。すると、にわかに暴風が吹き起こり、ものすごい大波にもまれ、たらいはひっくり返り、お満は湖の底にしずんでしましました。
九十九夜の恋もはかない最後をとげたのでした。この大風は数日止まず、今浜の人が湖岸に来ると、お満の乗っていたたらいはこわれて浜にうちあげられていました。
村の人たちはこの木片を拾い細く割って硫黄(青い火でもえる)をつけ「燈籠の灯を消さないようにしよう」と言い、娘の心をあわれんで、この硫黄を神社に供えて慰めました。すると、この大風は止んだと言われています。あわれなお満の霊をなぐさるため、湖岸に燈籠が建てられ、これに「お満燈籠」と名がつけられたのです。
おわり
民話「ゆうれいつぼ」びわ湖の湖上で船頭が出会った幽霊の伝承
昔、小津(おづ)にトクユウさんというおじいさんがいて、坂本(さかもと)から小津まで渡す荷運びの船頭の仕事をしておりました。
ある日、坂本からの帰り、天気がひどく悪く小津に帰るのが深夜になった時のことです。船を岸につけてひとまず一服していると、ふいに音がして、トクユウさんがはっと顔を上げると船に美しい女が座っていました。
見知らぬ女は、泣きながら「対岸の坂本へ連れていって欲しい」と頼みます。実は自分は既にこの世のものではなく、今日が四十九日で明日には冥土に行かなくてはならないが、せめてその前に一目、子(やや)に会いたいのだと事情を話します。
子(やや)を残して死なねばならなかった女が気の毒になったトクユウさんは、坂本へ船を出してやります。その道すがら、女は何故自分は死んだのかを話しはじめました。
彼女は武家の殿方と身分違いの恋仲になり、男の子を授かりました。すると男は女に金を投げて渡し、跡取りにできる子どもだけを連れて行ってしまったのでした。そして、子どもを取り返そうと必死になった女は、近くに停めてあった船に乗って後を追いかけました。しかし、沖で転覆し、荷物もろとも琵琶湖に沈んで命を落としてしまったのでした。
女は続けて、トクユウさんに「琵琶湖の底から拾ってきました。貴方の壺なのでお返しします」と壺を渡した。トクユウさんは、二ヶ月前に自分の船を沈めたのが彼女であったことを知り、男の罪深さを思うのでした。
ようやく坂本について、お屋敷に向かうと女が泣いて立ち止まります。なんと屋敷には魔除けの札がしてあります。トクユウさんはその魔除けの札を取り除いてやり、女に子どもとの最後の時間をあげました。屋敷に入ることができた女は、泣きながら自分の子どもを抱きしめ、最後のお別れをしたのでした。
夜明け前になって女はトクユウさんにお礼を言うと、満足そうに冥土に旅立っていきました。トクユウさんは、幽霊からもらったその壺を、「親と子の絆の品」として後世に伝え残したということです。
おわり