野洲川は、現在のような1本の河川になる以前は2つに分かれていました。野洲町竹生あたりから分かれた南流と北流は、曲がりくねり、河床の高い天井川でした。
そのため、大雨で水が増えると流れてきた水が直接堤防にあたり、よく切れやすい状態だったそうです。野洲川の南流と北流がほぼ固定したのは大体14世紀の頃だといわれていますが、それ以降も記録よると大水害が約10年に1回の割合で発生し、沿川周辺の人々を苦しめたそうです。
洪水になるたびに野洲川下流域の人々は苦しんできました。何度も何度も丈夫な堤防を築いてきましたが、どんなに堤防を手直ししても南北の川の河床は高くなるばかりで、ひとたび洪水がおきると大災害となりました。
昭和33年には、野洲川の河川改修事業として大規模な工事が行われることになり、南北に分かれるあたりからほぼ直線に1本の新しい河川に生まれ変わりました。今私たちが見る野洲川は、こうした経緯で今に至るのです。